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その51 日本に暮らす外国人の子どもたちの幸せと未来を願って日々奔走しています! (2015 APR. ちもんけん VOL.91)

特定非営利活動法人 多文化共生リソースセンター東海

事務局長 河村 槙子 さん

 地域問題研究所では、公益財団法人「あいちコミュニティ財団」の「あいちの課題深掘りファンド」の中で、「外国人の子どもの発達障がいに関する調査事業」に参加しました。この調査を担っていたのが、特定非営利活動法人多文化共生リソースセンター東海事務局長の河村槙子さんです。多文化共生に関する中間支援団体としての多忙な業務をこなしながら、また、ご自身も母親として子育てしながら、外国人の子どもの発達障がいの問題に取り組みました。今回は、河村槙子さんと外国人の子どもの発達障がいに対する取組をご紹介します。

 

■河村さんはどんなきっかけで多文化共生に取り組み始めたのですか。

 大学時代は総合政策学部で学んでおり、はじめは発展途上国で働きたいと考えていました。学生時代に1年間アメリカに留学した時に、「自分自身が外国人になる」という経験を通して、異国で暮らすことの苦労や不自由さを感じました。そして帰国して考えると、地域にも様々な外国人がいて、苦労して生活している人、能力を活かしきれていない人が多くいることに気付きました。そこで、地元で多文化共生に取り組もうと考えました。

 

■「外国人の子どもと発達障がい」の問題について取り組むことになったきっかけを教えてください。

 きっかけは、外国人の子どもたちの学習支援をされている現場のNPOの皆さんからの声でした。数年前から「文字がなかなか定着しない子が何人かいるのだけれど、日本語能力の問題なのか、発達に障がいがあるのかわからなくて…」という声を、よくお聞きするようになりました。学校内で子どもたちをサポートしている語学相談員(日本語指導が必要な児童生徒に対する語学指導の補助及び学校生活に関する相談・適応指導・教科学習指導の補助等を行う)からも同様の声が聞かれ、さらには外国人の子どもたちの中にも発達障がいが疑われる子どもたちが増えている気がする、どのように支援していけばよいかわからないとのことでした。そのような中、中間支援組織である当団体ができることは何か、また私自身、子をもつ親として自分にできることがあるのなら役に立ちたいとの強い思いから、この課題に取り組むようになりました。

 

■調査からわかったこと

 平成26年7~9月にヒアリング及びアンケートを行いました。現場に関わるNPOや教育・医療関係者にヒアリングする中で、次のことが見えてきました。

1.発達障がいが疑われるが、日本語の理解不足として在籍学級とは別の教室(日本語指導を中心に行う教室、通称・国際教室等)に対応を委ねられている子どもがいること

2.障がいではなく、日本語の理解不足による学習の遅れや気になる行動と思われるが、特別支援学級に在籍している子どもがいること

3.上記1、2の子どもの保護者からは、「どのような判断基準で子どもに障がいの疑いがあると判断されたのかわからないため、納得できない」「発達障がいの判断のための日本の試験は(日本で生まれ育った日本人の子どもに対応しているものなので)信用できない」という声があったこと

4.支援の現場では臨床心理士等の数が不足しているため、外国人の子どもへの支援はさらに手が届きにくく、支援策を模索する日々が続いていること

 アンケートでは、愛知県教育委員会及び県内市町村の教育委員会と保健担当部局に調査票を依頼しました。多くの回答は得られませんでしたが、次のことがわかりました。

1.県立の知的障害特別支援学校には、日本語指導の必要な外国人の子どもとともに、日本語指導の必要な日本国籍の子どもも在籍していること

2.公立小中学校に20人以上の外国人の子どもが在籍する市町村では、特別支援学級に通っている外国人の子どもが1名以上いること

3.市町村の教育委員会では、特別支援の必要性を判断する際の要綱・規定があるところとないところがあること

4.市町村の教育委員会では、外国人の子どもの日本語指導の必要の有無を判断する際の要綱・規定はないこと 5.各市町村の保健担当部局では、発達障がいの早期発見の糸口である乳幼児健診において、療育や個別相談等の支援の 必要性を判断する際の要綱・規定があるところとないところがあること

 この結果を踏まえて12月には成果報告会(上の写真)を行い、課題に関心をもつ皆さんとともに解決策を考えました。今後、今回の調査で生じた新たな疑問について丁寧に継続調査を行うとともに、外国人の子どもに直接関わる学校教員や臨床心理士、NPOスタッフ及び保護者等のネットワークづくりを行い、これまで個人が蓄積してきた支援や指導のノウハウを地域社会全体で共有できる仕組みづくりに取り組んでいきたいと考えています。

 

■河村さんの夢をお聞かせください。

 将来は地域にカフェが併設された保育園を創りたいという夢があります。いろいろな国の子どもが遊んで学べる場所、日本人の親も外国人の親も気軽に集まることができ、話をしたり困った時にはSOSを出すことができる場所、地域の人も集まってきて子どもを見守っている場所ができたらいいなと考えています。自分の子どももそこに入れたいのですが、夢の実現にはまだまだ時間がかかりそうです。

 

■お話を聞き終えて・・・・

 愛知県は在住外国人が多い地域であり、介護の必要な外国人の高齢者、日本生まれの外国人の子どもなど、多様な人が暮らしています。国籍などを問わず、誰もが暮らしやすい地域になるように、河村さんには、女性や母親の感性を持ちながら今後も益々活躍して欲しいと思います。

 

(文責/春日俊夫)

 

その52 30年前に人口減少社会の到来を予見されていた方 (2016 JUN. ちもんけん VOL.93)

元愛知県副知事 元地域問題研究所理事長

松尾 信資 氏

 

 会報誌の担当者から「いもづるネットワーク」への原稿記載を依頼されたのですが、多くの方はご存じと思いますが、私は平成5年にいったん地域問題研究所を離れ、3年ほど前に再び机を置かせていただいた者であり、この20年ほどの間の人脈形成は、私のもう一つの活動拠点である滋賀県湖北地域を主戦場としてきましたので、人物紹介できるだけの話題性のある当地域の人物とのおつきあいが少なく、この依頼はなかなかの難題となりました。ここは古い人間の特権を生かすしかないので、特別版として、故人ではありますが、私が地域問題研究所に入所した当時の松尾理事長(1906~1991)のエピソードをご紹介して、人物紹介に代えさせていただくこととします。

 私が地域問題研究所に入所したのは昭和61年11月のことでした。そのころの事務所は中日ビルにほど近い日建・住生ビルにありました。事務所の入り口を入ったところの左手に来客用のソファーがあり、その奥にパーティションで仕切られた理事長室がありました。

 松尾理事長はいつも、朝出勤されると理事長室に入って読書されているのが日課でした。ただし、理事長を訪ねてこられる来客は非常に多く、当時の事務局長であった清水清造翁とともに、様々な来客と意見交換されていたことを覚えています。 松尾理事長は、戦前に内務省に勤務され、戦後すぐに愛知県勤務となり、地方課長・企画長・総務部長等を歴任されたのち愛知県副知事を務められた方です。その後にも、名古屋高速道路公社理事長、名城大学理事長という経歴をお持ちでした。

 こうした経歴はあらかじめ聞かされておりましたので、当時20歳代半ばだった新人職員にとっては、理事長はそう簡単に話のできる方ではないと信じておりましたが、実際には正反対でした。当時はすでに80歳を迎えておられたと思いますが、理事長室に入る機会があると、理事長の方から色々と声を掛けていただいたことを思い出します。

 私がたずね聞いたところによると、戦争中に肺炎を患い、片方の肺を切除したそうですが、戦地だったのか国内だったのかは定かではありませんが、なにしろ物資が不足しているなかでの手術だったとのことで、なんと麻酔なしで方肺全切除の手術を経験されたということでした。想像を絶する経験をされておられる方でもありました。

 さて、今回の人物紹介で、当時の松尾理事長のことを取り上げようと思ったのは、私が結婚することになって、そのご挨拶に理事長室を訪ねたときの言葉が、ずっと私の頭の中にあるからです。私が、「このたび結婚することになりました。」と挨拶にうかがうと、「それはおめでとう」という言葉が返ってくるものと予想しておりました。でも返ってきた言葉は、「そうか、子どもは3人つくりなさい。」という言葉でした。私にとっては意外な展開でしたので、すぐさま私から、「それはなぜでしょう。」と返答したのですが、そこで返ってきた言葉が、「それは、日本の国力が衰えるからだよ。」という一言でした。このときの情景は今でも鮮明に覚えています。

 昭和61年と言えば、日本はバブル景気の絶頂期です。仕事先の職員の方々の中にも「株で何十万、何百万もうかった」といった話が普通に飛び交っていた時代です。そんな時代に30年先の人口減少時代の到来を予見されていたことに今更ながら感心するしかありません。

 また、何度かお話をさせていただくなかで、「今の景気は絶対に長く続かない」、「誰もが汗しただけ、その労働に見合う報酬が得られる社会をつくらないといけない」、そんなことを若造であった私にも切々と話してくださいました。そして、そんな社会づくりのために地域問題研究所の研究員としてがんばりなさいとも。

 後日、松尾理事長は信念の方だったという話をうかがったことがあります。そして、80歳を過ぎてなお、あれだけの読書をされていたのでその知識の蓄積も並外れていたのではないかと推察します。きっと、あの挨拶の日にも、私にしっかりとした信念を持って「子どもは3人つくりなさい。」とおっしゃっていただいたのだと思います。

 

(主任研究員:押谷茂敏)

 

Part.53 愛知県新城市~若者政策の取組み (2016 APR. ちもんけん VOL.94)

新城市 まちづくり推進課

白頭 卓也 さん

 地域問題研究所では、これまで新城市の総合計画をはじめとする多くの計画に参画させていただきました。新城市の若者政策の推進に取り組んでいらっしゃるのが、まちづくり推進課の白頭卓也さんです。

 遊休農地・空き家の活用を目的とした「どやばい村プロジェクト」が3月19日~21日に行われました。若者の力を積極的に取り入れ新城市の魅力を発信されている取り組みと今後の活動についてご紹介いたします。

 

■新城市の若者政策の特徴は何ですか。

 平成26年から実施している若者政策は、穂積市長の3期目の公約です。少子高齢化が進む新城市は、2040年に消滅可能性都市として挙げられていますが、若者が活躍できるまちを実現し、世代のリレーができるまちを目指し、若者政策が始まりました。

 新城市独自の取り組みとして、政策を立案し市長に答申する「若者議会」がスタートしています。平成27年度第1期若者議会では、1,000万円という予算の中から6つの事業が市長に答申され、平成28年度から市の事業として実際に動き出しています。 若者に新城市の魅力や課題を身近に感じてもらえる取り組みを進めることが、主体的で柔軟なアイデアにつながり、実際の市政に反映される新城市の若者政策の特徴だと考えています。

 

■「どやばい村プロジェクト」が立ち上がった経緯を教えてください。

 地域おこし協力隊で活動されている、鈴木孝浩さんが中心となり、中山間地域の遊休農地や空き家を活用化するプロジェクトが発足されたことがきっかけです。

 自然豊かな新城の土地をPRするために、どんなコンセプトが必要かを話し合い出てきたキーワードが「どやばい」です。この言葉は「危ない、危険である」という意味で使われている一方で、現代の若者を中心に「とても素晴らしい」というポジティブな意味でも使われています。ありきたりな活性化プロジェクトでなく、特徴的な取組みを新城市から発信したいという思いから始まったプロジェクトです。

 

■「どやばい村プロジェクト」はどんなイベントなのでしょうか。

 参加者は全国から応募を募り鹿児島や東京などから29名の若者(16歳~35歳)が集まり、山間部の遊休農地と空き家を活用した地域活性化の取り組みを発表してもらう取り組みです。地域視察等により2日間かけて新城のことを知ってもらった後、「どやばい」をコンセプトとした活性化プランを発表していただきました。次年度以降に実際にこのアイデアを活用した政策を実施していく予定となっています。

 

■発表されたアイデアで印象に残ったものはありますか。

 どの発表も非常に斬新なアイデアばかりでどれも印象に残っていますが、個人的に一つ挙げるとすれば、遊休農地を利用したグランピングの発表です。

 「グランピング」とは、(glamorous)と(camping)を掛け合わせた造語で、自然の中で豪華で気軽なキャンプ施設を作るという新たな取り組みです。まだ日本では聞きなれない言葉ですが、欧米では先進的に行われ、人気が高まっているそうです。新城市の自然を活かした特徴的な取り組みと、様々な人達が新城市を訪れてくれる可能性からとても興味深い取り組みだと思っています。 6班に分かれ政策発表を行いました。

 

 ■次年度以降、プロジェクトの結果を踏まえどう推進していきたいですか。

 イベント3日目のプラン発表の際には、多くの地元住民の方々に来ていただいて発表を聞いていただきました。この「どやばい村」というコンセプトでプロジェクトを実施できたことは、地元の方の関心度も高く協力を得られた結果だと感じています。地元住民のアンケートからも、ぜひプランを実現してほしいとの声を多数頂戴しております。

 前述した「グランピング」だけでなく様々なアイデアを次年度以降に具現化していく予定です。今年度、プランの一部を実現するための予算も確保しています。

 地域が活性化するためのひとつの起爆剤とするため、あるいは新城市が「どやばい」面白さを発信できる中心地となるように、我々はすでに動き出しています。 3月24日にTV東京系「ワールドビジネスサテライト」で放映されました。

 

■白頭さんが「若者政策」や「どやばい村プロジェクト」を通じて感じたことは何ですか。

 若者政策に携わる前までは、若者がまちづくりの担い手だとは考えたこともありませんでした。この2年間、若者政策に携わらせていただく中で、本気で自分のまちを良くしたいと考えている数多くの若者を見てきました。

 若者はまちにとって重要な資源であるということを強く感じています。若者が本気である以上、我々行政も本気になって若者の思いと真摯に向き合っていかなければならないと改めて感じました。

 

■お話を聞き終えて・・・

 私自身も当日はスタッフとして参加させていただきました。「どやばい村」というコンセプトで自由で創造性のあるアイデアを募り、参加者や地域の人をサポートする市の体制にとても感銘を受けました。地域の魅力作りと外部のファン育成に取り組む姿勢が今後の新城市の未来を繁栄されていくのだと感じました。

 

(文責/橋本健太)