その48 フリーペーパー「耕Life(こうらいふ)」の発行で、都市と農山村をつなぐ (2014 APR. ちもんけん VOL.87)
株式会社 こいけやクリエイト
代表取締役 西村 新 さん
今回のいもづるネットワークでは、フリーペーパーの発行を通じて、主として豊田市をフィールドに都市と農山村をつなぐ取組を展開している「株式会社こいけやクリエイト」の西村さんに、お話をうかがいました。
■「耕Life」はどんな冊子ですか?
読者のみなさんと共に、「農」「食」「暮らし」「環境」について考え、学んでいきたいと思い創刊したのが、人生を耕すためのライフスタイルマガジン「耕Life」です。
「耕Life」では、地域に根ざした食や農、暮らしや環境に関するイベントや様々な取組をしている方々の情報を発信しています。この「耕Life」をきっかけに、みなさんのライフスタイルが人生を育てる"耕"を取り入れられますようにと、願っています。
■創刊はいつですか?
初刊は、2012年(平成24年)の10月の秋号です。それ以降、季刊誌として発行しており、今年の3月に発刊した春号で7号になりました。
当初、3,000部であった発行部数は、今では8,000部になりました。
■毎号、特集を組んでいますね。
これまで、「白ごはんのおとも」、「みそ」、「春のお弁当」、「ひんや~りジュース・アイス」、「芋」、「もち」、「山菜」というように、四季折々のテーマで特集を組んでいます。
定番のコーナーとしては、「現場取材記」や「耕人」、「学ぼ!」、「農Style」、「イベントワークショップ情報」などがあります。「耕人」のコーナーでは、農を通して日々人生を耕している方々を毎号紹介しています。また、「学ぼ!」は、自然、農業、食に関する身近な疑問を科学的にわかりやすく、そして面白く学べるコーナーです。これまで、「土ってな~に?」や「発酵ってな~に?」、「有機農業ってな~に?」というテーマで情報を提供してきました。「農Style」というコーナーでは、毎回、おしゃれな農スタイルを取り入れている複数の方々を写真入りで紹介しています。
■ネタは尽きませんか?
農山村地域には、たくさんの魅力資源があります。また、取材を通じて、農的な暮らしをしている人やそうした暮らしを志向している素敵な方々とのたくさんの出会いがあり、人と人の輪がどんどん拡がってきています。
ですから、ネタが尽きるようなことはありません。
■「耕Life」はどこで入手できますか?
「耕Life」は、豊田市役所を含む豊田市内約220ヵ所の店舗や事業所に置いていただいています。豊田市外では、みよし市や名古屋市など約30ヵ所で置いていただいています。
詳しくは、「耕Life」HPの「設置店情報」のバナーをクリックしてご覧ください。耕縁会(後援会)にご入会いただければ、毎回、郵送させていただきます。
■出版経費はどうしていますか?
特別な営業活動はしていませんが、企業や店舗、各種団体様のパートナーの広告料や協賛金の収入の他、耕縁会からの収入で発行しています。すべての人件費も含めた経費を賄うことはできていませんが、広告料等の収入の増加に合わせて記事を増やし、ページ数は、当初の2倍の32ページに増えました。無理をせずに、出版経費だけは何とか賄える規模で持続的に発行していきたいと考えています。
■そもそも、「耕Life」発刊のきっかけは?
芸大を経て、印刷会社や広告代理店などに勤務後、実家のある豊田市平戸橋町に戻って、2011年8月にこいけやクリエイト設立しました。その時は、「耕Life」の発刊は考えていませんでしたが、Iターンをして豊田市の旭地区で農業を行っている戸田さん(㈱M-easy)主催の「豆っこくらぶ」(みんなで大豆から味噌をつくってみんなで分ける野良仕事)に参加して農業の楽しさを知りました。また、それがきっかけとなり、「アグロ・プエルタ」という、農や自然を楽しみながら、食や暮らしのあり方を見つめなおすきっかけとなるような場があったらよいという想いから生まれた農業サークルや、「農山村へのシフト」を合言葉に持続可能な暮らしや都市と農山村の交流・共生について取り組んでいる「千年委員会」の場にも顔を出すようになりました。
こうした都市や農山村の様々な方々との出会いの中で、「自分が得意とするデザインを通じて、都市と農山村の人と人をつなぎたい」と考えるようになり、「耕Life」の発刊に至りました。
■いつもオレンジ色の“つなぎ”ですね。
これは、ユニホームです。「人と人をつなぎたい」という思いを込めて、いつもオレンジ色のつなぎを着ています。
■取材を終えて(所感)
フリーペーパーといえば、お店の広告とクーポン券だらけのイメージですが、「耕Life」はそうではありません。「農」「食」「暮らし」「環境」に関する情報やいきいきと人生を耕している人々の写真が満載です。洗練されていながらも温かみのあるほんわかとした誌面のデザインやカメラワーク。この質感の高さは、流石に印刷物のデザインやホームページの制作などを手掛けているデザイン事務所がつくっている冊子という印象です。広告もひとつの記事のように冊子の中に溶け込んでしまっているようなデザインがとても特徴的です。
◇お問い合わせ先
株式会社こいけやクリエイトのHP
http://koikeya-create.com/
住所:愛知県豊田市平戸橋町馬場瀬69-1
「耕Life」のHP
http://www.kou-life.com/
(文責:主席研究員 加藤 栄司)
その49 地域のためは自分のため、“いざ”という時にも困らない親子と地域のつながりづくりかにえにこにこママネットワーク (2014 JUN. ちもんけん VOL.88)
代表 高阪 美帆 さん
吉兼 礼子 さん
中村 奈津子さん
蟹江町の「かにえにこにこママネットワーク」は、「笑顔のママを増やしたい!」をモットーとして、蟹江町の『にこにこのいえ』を拠点に活動している団体です。
東日本大震災直後に「お母さんたちでできる被災地支援をしたい!」と設立された団体で、現在は被災地支援活動と子育て中のお母さん対象の居場所づくりを中心に幅広い活動を展開しています。代表の高阪さん、吉兼さんにお話をうかがいました。
■活動のきっかけを教えてください。
団体設立のきっかけは東日本大震災です。親を亡くした子どもや住む場所を失った親子の話を聞きました。「被災地に行けない私たち母親にできることはないか」と考え、子育て支援センターのサークルで一緒だったお母さんグループで「チャリティフリーマーケット」をはじめました。
活動をしていくうちに、蟹江町に「子育て中のお母さんが集まれる場所をつくろう!」ということになり、現在、子育て中のお母さん対象に様々な活動を行っています。
■活動の内容を教えてください。
①被災地支援
団体設立のきっかけとなった「チャリティフリーマーケット」は、震災2カ月後に第1回を開催し、その後、年に2~4回開催しています。売り上げはすべて「ふくしまこども寄付金」など被災地支援の団体に寄付しており、これまでの寄付の総額は約130万円になりました。
チャリティフリーマーケットは、一番の目的はお金を集めて①被災地支援をすることですが、②ごみの減量にもなりますし、子ども用品を安く手に入れられるため③子育て家庭の経済負担の軽減にもなります。また、④地域のコミュニティづくりにもなっており、一石四鳥の取組みだと感じています。
その他、東日本大震災や水害にあった地域のがれきの中から見つかった、汚れた写真を洗浄する写真洗浄の活動にも参加しています。
②にこにこのいえの運営
蟹江町から旧蟹江児童館を借り、子育て中の親子の拠点「にこにこのいえ」として運営しています。
「にこにこのいえ」では、子育て中のお母さんの仲間づくり、社会教育の場となるような取組を企画しています。親子で参加する英語遊び、工作教室、ベビーマッサージなどの各種教室や防災セミナーなどを開催する「親子ひろば」、子連れで参加できるお母さんのためのヨガ教室、ベリーダンス教室、英会話サロンなどの「ママのカルチャー教室」、様々な年代の子どもを持つお母さんが交流できる「母親サロン」や「母親相談会」を行っています。
いろいろな教室やセミナーの講師は、町の生涯学習講座で出会った方や参加者の友人・知人、町内の各種団体の方など、日頃のつながりで出会った方にお願いしています。
③その他
活動をはじめて3年が経ち、町内のいろいろなイベントや団体から声をかけていただくことが増えてきまし た。
蟹江町が沖縄県読谷村と取組む特産品の開発プロジェクトで、母親目線での提案を出させてもらったり、町内の福祉施設のイベントでは親子でベリーダンスを披露しました。
■活動をはじめて3年になりますが、活動を通して何か感じたことはありますか?
現在、活動の開催の告知や報告はtwitterやブログで発信しています。twitterの登録メンバーは100名を超えました。
参加してくれたお母さん達からは「いつもブログ楽しみにしています!」と嬉しい声をいただき、活動に対する期待を感じます。
一方で、活動にはじめて参加された方から「子育てがとても不安でした。ずっと家にこもっていたので、自分以外の人に子どもを抱いてもらったのは初めてです。」という声を聞くこともあり、活動の必要性を感じるとともに、より多くのお母さんに活動を知ってもらい、参加してもらいたいと思っています。
■今後の活動の展開イメージをきかせてください。
蟹江町は本当に暮らしやすい町です。蟹江町出身の方で、結婚を機に町内に世帯を構える方がたくさんいます。
今後は、子育て中のお母さんだけではなく妊娠中からつながりづくりができる活動を行うとともに、活動を通して親子と地域の間に「日頃から手助けをお願いできるパイプ」をつくり、蟹江町をもっと子育てしやすい町にしたいと思っています。それが災害時にも必ず役に立つと思います。
■取材を終えて
かにえにこにこママネットワークは、被災地支援活動をきっかけに子育て中の親子の居場所づくりへと活動を展開してきました。そのため、災害時を意識して、子育て世代だけではなく、地域の人と親子をつなげていきたいという強い想いがあります。
その想いは活動にも表れており、防災の団体と連携して子育てお母さん向けの防災セミナーを開いたり、地域のお年寄りと子どもたちの交流機会を設けるなど、町内の団体間、世代間をつなぐ橋渡し役としても重要な役割を果たしています。
蟹江町に限らずその他の地域においても、災害時に向けた地域のつながりづくりは緊急性の高いテーマでありながら、なかなか進んでいないのが実情であり、特に子育て世代の意識の向上が課題となっています。
今後も、かにえにこにこママネットワークの、子育て世代のお母さんから取り組む「地域の防災力の強化」の活動に注目です。
◇連絡先・HPなど
かにえにこにこママネットワーク にこにこのいえ
住所 〒497-0030 愛知県海部郡蟹江町宝三丁目3番地 旧蟹江学童保育所(旧蟹江児童館)
ブログ http://ameblo.jp/nico25mmn/
※お問い合わせはブログからお願いします。
(文責:宮原 知沙)
その50 シャンゼリゼとの友好提携-あれから25年の憂い-(2014 OCT. ちもんけん VOL.89)
もりのがくえん(愛知総合看護福祉専門学校)
校長 安井 俊夫 さん
中日新聞(9月25日)の「提携25年 途絶えた交流」で安井俊夫さんのお写真を見て、インタビューをお願いしました。安井俊夫さんは、看護福祉専門学校で人と自然との共生を大切にする教育に優しい視線を若い人に向けて力を入れられています。しかし、10数年前までは、愛・地球博の開催、さらに、その前には愛知芸術文化センターの建設の責任者をなさっており、県民への影響がとても大きな仕事を見事に成功に導かれてきました。
名古屋市公館から愛知芸術文化センターまでをご一緒しながら、名古屋都心の国際的な魅力づくりについての思いをうかがいました。
■自転車通勤で時々、久屋橋を駆け抜けていますが・・・
名古屋市公館は、県庁や名古屋役所の所在地中区三の丸の一角です。このマロニエの木は、外堀通りを久屋橋で北に渡ったここから久屋大通りを静かに見守っています。
この木の前に、これですね、小さな金属製銘板があり、「名古屋中央大通連合発展会、シャンゼリゼ委員会、友好提携記念樹」と書かれています。下の部分に説明文らしきものの痕跡はありますが、剝げ落ちがひどくて判読できません。残念ながら、今ではこのマロニエの木の所在を知る人もほとんどなく、目も向ける人もいない。ましてや由来を知る人も皆無に近いのが実態でしょう。
遇々私は、平成元年から3年にかけて、愛知芸術文化センターの建設事務局長の職にいました。その際に、名古屋とパリのシャンゼリゼとの友好提携のお手伝いをさせていただいきました。その記念として思い出深いマロニエの木なのです。
■提携のきっかけはどのようなことでしたでしょうか?
私の記憶によると、1989年9月25日、今からちょうど25年前に、名古屋とパリの街の中心部の商店街組織の友好提携協定の調印の記念としてマロニエが植えられたのです。当日には、名古屋市公館で当時の西尾武喜市長らの立会の下に盛大な調印式が行われました。続いて、庭に出て、伊神孝雄名古屋中央大通連合発展会会長とボルゴ・シャンゼリゼ委員会理事長、西尾市長らにより、記念樹の植樹式が行われました。
マロニエの木は、パリを代表する樹木でして、末永い友好提携を願って植えられたのです。
当時、このような市民レベルによる大都市の中心街同志の国際交流が実現したことは、あまり例のないこととして注目されました。あなたも記憶があると思いますが。
■よくぞシャンゼリゼが、と驚いた記憶がありますが
そもそも提携の端緒となったのは、昭和58年(1983年)の愛知県知事選挙で当選した鈴木礼治氏が名古屋の都市の栄地区に日本一の文化施設(現在の愛知県芸術文化センター)の建設を打ち出したことでした。この施設づくりに関する地元との話し合いの中で、県としては“都心の魅力は文化の魅力”をキャッチフレーズとして、当時進行中のパリ大改造計画が芸術文化施設の整備を軸として行われていることの周知を図りつつ、名古屋都心の施設づくりに取り組んでいました。
そうした係わりの中で、最も地域的に関係の深い、テレビ塔を中心とする商店街組織の名古屋中央大通連合発展会(現久屋大通連合発展会)もパリの都心のシャンゼリゼ委員会との友好提携に積極的に取組み始めたのです。
この動きについては、愛知県、名古屋市も支援し、JETRO(現在の日本貿易振興機構)のパリ事務所等の応援もあり、両地域の間で友好提携の気運が急速に高まり、平成元年(1989年)になると、本格的に動いたのです。
まず、4月になると、名古屋中央大通発展会から、伊神会長以下、約20人の使節団が、パリのシャンゼリゼ委員会を訪問しました。この使節団には、私も一員として参加し、鈴木県知事からの友好提携への期待と、当時の愛知県政の重要課題の一つであった中部国際空港建設計画や、愛知万博誘致への理解と協力を依頼する知事のメッセージを持参し、シャンゼリゼ委員会のロデ事務局長に手渡しました。
その席でパリ側としても前向きに検討する旨の回答を得ました。これを契機として、友好提携への動きが加速したのです。
■久屋大通りのどういう良さが評価されたのですか?
すぐ2ヶ月後の6月にはパリからの招きにより、伊神会長と井上信夫副会長が、シャンゼリゼ委員会総会に出席し、その席上で、名古屋との友好提携が正式な議題として提案・承認されて、正式決定するに至りました。
それに伴い、同年9月に、パリ側を代表してシャンゼリゼ委員会のボルゴ理事長とロデ事務局長を名古屋に招き、現地視察のうえ、協定を正式調印する運びとなりました。来名したシャンゼリゼ委員会代表一行は、調印に先立ち、名古屋テレビ塔から久屋大通り一帯を見て、道路と公園が一体化した、しかも緑豊かな景観に関心を示し、激賞しました。
続いて地下を利用した大型駐車場に大きな関心を寄せ、詳細な説明に熱心に耳を傾けていたことが印象的でした。その後、駐車場については、車の路上駐車場対策を模索中であったシャンゼリゼ側が、名古屋の地下駐車場の例に習ってくれたのです。シャンゼリゼ大通り地区初の地下駐をルーブル美術館西側の道路下に設けました。これについては、名古屋との交流のシンボルとして、当時の関係者の間では、かなり話題とされました。
■友好提携でどのような効果があったのですか?
この友好提携については、東京銀座の商店街にも伝わり、大変羨ましがられている話が新聞紙上でも報じられたこともある程、話題性に富むものでした。
また、このような市民レベルの国際交流のお蔭で、2005年に開催の愛知万博の誘致運動についても、非公式でしたが、ヨーロッパ各界への要人への働きかけの面で協力を得たことも忘れ難いことです。万博誘致の応援団としてのお力添えをいただき、感謝しておりました。
このような名古屋中央大通連合会発展会とパリのシャンゼリゼ委員会との歴史的ともいえる友好協定の調印から、早いもので25年になります。
■シャンゼリゼとの友好提携を結んでいることは、最近は話題になっていないですね
実は、つい先日、9月25日が、まさにその記念日でしたが、記念行事的な話は全く聞きませんでした。残り少ない当時の関係者に尋ねても、具体的な話はありません。
20世紀から21世紀へ、年月の経過とともに、両組織を構成する人も替わり、交流事業も減少の一途を辿り、近年は全く途絶えているのが実態と聞き及んでいるんです。
せっかく地域の先輩達が、将来の名古屋の都心の発展を目指して“世界の文化の都”と称されているパリのシャンゼリゼとの間に築きあげられた友好提携の絆が途絶え、ほとんど忘れられているのではないか。これは残念で、心淋しいことです。
国際化が進むなかで、これでいいのでろうか。大変気になります。
名古屋市公館の一隅に25年前に植えられたあそこのマロニエの記念樹も、パリのシャンゼリゼとの活発な友好提携の復活と、名古屋の久屋大通りを中心とした文化の香り高い、魅力ある街づくりの展開を心待ちにしていると思います。
そして、出来得れば、名古屋中央大通発展会とシャンゼリゼ委員会の間で、21世紀にふさわしい市民レベルの友好の絆が再生することを願っていると思うのですね。
■テレビ塔までの大通りの雰囲気はいかがですか?
ここから、久屋橋を渡って、久屋大通をテレビ塔まで歩いてみましょう。
このエリア、つまり、テレビ塔の北側は賑わいがないですが、大通りの両側には、最近、オープンカフェアやしゃれた店が少しずつ出来てきました。芸文センターでオペラやコンサートを鑑賞した人々が、その余韻に浸ることができる空間になると良いと今でも願い続けています。
こうした店や、美術品やアンティークの店、ブティック、本屋さんなどが増えると素敵な街になると思います。公園部分も緑いっぱいですが、もう少し明るくして、市民の散歩ゾーンに整備し、小さなパブ、コーヒースタンドなどがあったら楽しいですね。
テレビ塔は、日本最初のものとしての歴史的価値があると同時に、名古屋都心のランドマークです。パリのエッフェル塔が、1889年のパリの万博の仮設の展示物ですが、今なお、パリの象徴として活用されていることも参考にしたいですね。
テレビ塔や名古屋の街やヒト、モノの魅力を掘り起こして、PRしている若い人達による「大ナゴヤ大学」の活動もおもしろいですね。期待しています。
■初めて見るモニュメントですが?
この文学碑「蕉風発祥の地」には『冬の日』の発句、「狂句 木枯の身は竹斎(齋)に似たる哉」以下表六句が刻まれていますね。
1684年の冬、松尾芭蕉翁が、野ざらし紀行の帰路、尾張国名古屋に立ち寄り当時の俳諧革新派の青年達と七部集の第一集『冬の日』の巻を起こしたことは、広く知られています。その場所は江戸時代に発刊された『家並増減帳』を見ると、宮町通久屋町西へ入ル南側、傘屋九兵衛借宅とあり、テレビ塔の東北側の脚の直近で、この文学碑の辺りなのです。
海外でも俳句(Haiku)の同好者が増えていますが、どの源流となった「蕉風発祥の地」はこの名古屋です。
■栄地区の国際的な魅力づくりの課題、可能性は?
このことはいわばこの地が現代俳句の発祥の地であることの証明であり、名古屋文化の歴史の重みを示すと同時に、地域の誇りです。従って、この史跡をこの地域のまちづくりの歴史ポイントの一つとして活用して貰いたいですね。俳句は、いまや国際的なブームであり、まちづくりの目玉として期待しています。
名古屋のまちづくりについていえば、テレビ塔を中心に久屋大通りを南北の都心軸として活性化の中心の役割を果たすことを期待したい。
加えて、つい先日、9月25日には、名古屋・栄町商店街振興組合がベルギーの首都ブリュッセルのルイズ通りと姉妹提携したと伝えられています。名古屋の都心の東西都心軸が強化されることにもなります。
この2本の都心軸をうまく活用して、国際的にも魅力のある名古屋のまちづくりがダイナミックに展開することを期待しています。
■インタビューを終えて
安井さんは、新聞記者等から「県庁ブルドーザー」とあだ名を付けられた程のバイタリティーがあり、防災、民生、教育などでも新しい施策を実現なさってきました。今では、公務員のタイプでも少なくなった「先取りを実現する治世の能臣」といった人物であると改めて感じました。
これからは、右肩下がりの時代には、どのような公務員あるいは首長が求められるのか、とお聞きすることを忘れました。
※シャンゼリゼとの友好提携については下記より動画で見ることもできます。
network2010
愛知万博を語る その7 安井俊夫
(文責:主席研究員 田辺 則人)