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タウンレポート

Part.46.47.48

Part.46 ブラジルで日本の歴史を学ぶ~共に生活する仲間を知る~     (2012 JUN. ちもんけん VOL.80)

■はじめに

 平成23年末現在、日本には約200万人の外国人が生活しており、東海地域においても約30万人の外国人が生活しています。特に愛知県は約20万人と都道府県の中で3番目に多い状況です。リーマンショック等による雇用状況の悪化や東日本大震災等の影響から減少傾向にはあるものの、定住化、滞在の長期化が進んでおり、外国人がどのように日本社会で生活していくか、外国人と日本人がどのように地域社会で共生していくかは重要な課題となっています。

 地域における多文化共生のまちづくりを考えるにあたって、まずは母国での生活の様子を知る必要があると考え、東海地域に最も多く住む外国人の故郷ブラジルを訪れました。

 しかし、ブラジルで学んだことは、日本人として知っておくべき日本の歴史でした。私がブラジルで学んだ日系ブラジル人の歴史と日系ブラジル人の生活の様子についてご紹介したいと思います。

 

■日系ブラジル人の歴史

 日本に住む外国人に占めるブラジル人の割合は10.1%ですが、東海地域では28.6%と極めて高くなっています。その多くが日本にルーツを持つ日系ブラジル人です。

 彼らは、開国後に日本が推し進めた移民政策によりブラジルに渡った日本人の子孫です。最初の移民をのせた「笠戸丸」がサントス港に入港したのが1908年6月18日。当時、「ブラジルには金のなる木がある」という謳い文句のもと移住が進められたと言われています。

 

■日系移民のブラジルでの生活

 移民は当初、コーヒー農園などで奴隷同様の過酷な労働を強いられていましたが、その後、移民同士で農地を取得し自作農となり「植民地(コロニア)」を形成しました。

 コロニアでの生活もまた、枯木等で家を建て、雑草、カピバラやヘビなどを食料にするなど厳しい生活でした。しかし、いつか帰る日本での生活に備えて日本語学校をつくり、日本の行事を執り行うなど、日本文化を大切にした安定した生活を獲得していきました。

 そのため、高齢者の中には、現地で生まれた方でもポルトガル語ではなく日本語とポルトガル語が混ざった「コロニア語」を話す人も多く、納豆やみそ、こんにゃくなどを手づくりし、毎食味噌汁を飲んでいるなど、日本人よりも日本人らしい生活をしている方もいます。

 

■日系移民のブラジル社会への影響と同化

 日系移民はブラジル社会に様々な影響を与えてきました。

 農業の分野においては、単なる栽培だけに留まらず、野菜や果物の品種改良を行なったり農業組合を形成するなど農業大国ブラジルに大きく貢献しています。そのため、ポンカンや富有柿など、現地でも日本語で呼ばれている農作物がいくつかみられます。

 また、教育、勉学に熱心であったことから、政治家や医者、弁護士など社会的地位が高い人や事業家としての才能を発揮した人も多く、“日本人であれば大丈夫”という信頼を築きあげてきました。

 そして、笠戸丸の入港から100年を超えた現在、日系ブラジル人はブラジル全土に約150万人いると言われており、彼らは日本人としての誇りを大切にしながらブラジル社会に同化して生活しています。

 

■共に生活する「仲間を知ること」が多文化共生の第一歩

 一方、笠戸丸の入港から約80年後、多くの日系人が「デカセギ」という形で日本に来ました。それが、冒頭に説明させていただいた、東海地域に約30万人生活しているブラジル人の方達です。

 「日系ブラジル人」という言葉はよく耳にするにもかかわらず、この歴史を知らない人はたくさんいるのではないでしょうか。今回の訪伯を通して、多文化共生において共に生活する「仲間を知ること」が重要であると再認識しました。

 

■おわりに

 この夏、第二次世界大戦後に、戦争の勝敗をめぐってブラジルの日系社会でおきた日本人同士の抗争を描いた映画「汚れた心」が全国で公開されます。日本で、日本人として知っておくべき歴史の1ページを見ていただければと思います。

 

 

 

(文責:宮原知沙)

Part.47 愛知県北設楽郡豊根村川宇連地区~交流居住の取り組み          (2012 DEC. ちもんけん VOL.81)               

1.はじめに

 愛知県豊根村は愛知県の東北部に位置し、長野県と静岡県に接する村です。東西16.6km、南北15.6km、総面積155.91kmで、その約90%以上が山林に覆われ、人口は平成24年8月31日現在、1,312人、世帯数 559世帯となっています。

 この豊根村の愛知県最高峰茶臼山の麓にある川宇連地区では、平成20年度から交流・移住を進める取り組みが行われており、今回はこの取組内容を紹介します。

 2.豊根村川宇連地区の状況

 豊根村川宇連地区は平成24年度現在、人口は約120人、世帯は約32戸で、65歳以上高齢化率は40%を超える状況で、過疎化高齢化が進んでいます。茶臼山の麓にあり、きれいな空気と清流が流れる自然豊かな地区です。

 地区内には民宿、マス釣り場、村の観光レクリエーション施設であるグリーンステージ花の木などの観光施設をはじめ、国指定天然記念物 の花の木」が自生し、古くは南北朝時代の後醍醐天皇の孫にあたる尹良親王が滞在されたと言われるなど、親王にまつわる数々の遺跡や伝説も残されています。

 この川宇連地区では、平成20年度より、地区の集落営農組織である「茶臼の里組合」と村の観光レクリエーション施設であるグリーンステージ花の木の指定管理者である「グリーンステージ花の木組合」による田舎の魅力体験イベントをそれぞれで実施しています。

 

3.茶臼の里組合による田んぼのオーナーの取組み

 集落営農組織である「茶臼の里組合」では、愛知県奨励品種「みねはるか」や「チヨニシキ」などの米づくりを実施していますが、平成23年度から、都市との交流の中の取り組みとして、遊休農地を活用した田んぼのオーナーを実施しています。

 

 平成23年度は1口(1区画約100㎡)30,000円(税込)で、20区画を募集したところ、定員を上回る25組の応募がありました。また平成24年度も23組が集まり、名古屋市や豊橋市など、県内各地から子ども連れの家族をはじめ、夫婦、NPO、企業など毎回100名を超える参加者で、田植え、草取り、稲刈り、収穫祭などの年間4回の交流活動を実施しています。

 2年連続で参加する家族、口コミで参加するようになった家族、福利厚生として参加するようになった企業など、参加する方々が広がっています。

また、「茶臼の里組合」では、この田んぼのオーナーだけでなく、夏休みの特別企画としてトウモロコシのもぎ取り体験も実施しています。これは愛知県立大学の学生の協力も得ながら5月にトウモロコシ栽培を行い、8月にトウモロコシのもぎ取り体験と木工体験、マスのつかみ取りなどを、川宇連地区の魅力を満喫するイベントとして実施しており、毎回100名くらいが訪れる交流イベントになっています。このトウモロコシのもぎ取り体験も、リピーターの方、田んぼのオーナーの方など、川宇連ファンの参加者も多く、地域との交流が深まっています。そのため、地域の人も元気になるなど、地域の振興にもつながっています。

 

4.グリーンステージ花の木組合による田舎の魅力体験イベントの取組み

村の観光レクリエーション施設であるグリーンステージ花の木の指定管理者になっている「グリーンステージ花の木組合」では、山菜採り、ブルーベリー狩りとジャムづくり、炭焼き体験など、季節に応じた田舎の魅力体験イベントを実施しています。

平成24年度は8月4日(土)に「完熟ブルーベリー摘み取りと餅つき・ジャム作り体験!」を実施し、名古屋市内をはじめ、県内各地から子ども連れの家族などが、定員30名をはるかに上回る45名参加する交流イベントになっています。

交流イベントの企画では高齢化によって運営するスタッフも限られているため、スタッフが無理なくでき、参加者が十二分に楽しめるものというコンセプトで試行錯誤しながら考えて実行し、参加者にも準備や片付け作業なども一緒に取り組んでいくようにして交流を深めています。

 

5.さいごに

川宇連地区では交流イベントなどを通じて移住する人を確保していく気持ちもありますが、現時点では空き家がないこともあり、今住んでいる人が定住できるように地域経済の活性化を図ること、交流を通じた人とのつながりを大切にした取り組みを実施しています。

 

 

 

 

(文責:主任研究員 藤 正三)

Part.48 名古屋市千種区 「ブロードウェイ」と「怪しさ」が同居する街~今池界隈  (2013 APR.ちもんけん VOL.83)

■はじめに

 私は4年前に地縁もない中ではじめて名古屋に来て、以来住んでいる街が「今池」である。勤務地である伏見から自転車で通える条件で、何も予備知識のないまま、たまたま住み始めた街である。

知人に「どこに住んでいるの」と聞かれ、「今池」と答えると、多くの人がニヤッと含み笑いをして「楽しそうな街に住んでいるね」との回答である。とあるホームページでは「住宅街と風俗街が密着している今池」と紹介されていたり「名古屋のブロードウェイ」と紹介されていたりとよく分からない街、怪しい街である。でも便利であり快適であり住みやすい街である。私の住まいでもあり、名古屋市のまちづくりでも重点地域に位置付けられているこの街を紹介する。

 

■今池の歴史

 千種区のホームページによると、江戸時代にかつてこの地に池があり、その側に馬池新田があった。その「うまいけ」がなまって今池となったといわれているようだ。今池の交差点には、馬のモニュメントがあります。はじめは「なぜ今池に馬?」と思うが、由来を聞くと「なるほど」である。昔は市電が東西南北に通る名古屋市東部の交通の要衝であり、現在も地下鉄東山線と桜通線が結節する利便性の高い街である。かつては名古屋で飲み会といえば今池という時期もあったようである。1960年代にはザ・ピーナッツが「今池音頭」を唄っていたという由緒ある街でもある。

 

■楽しい街、元気な街

 今池は、表面的には幹線道路沿道の整然とした街並みとなっているが、街区内に入ると活気のある雑踏の街である。パチンコ店やサウナが多い中で、台湾ラーメン発祥の店など、個性的で美味な有名店も揃っている。決して上品とは言えないが、楽しく元気な街という印象である。

今池には西南商店街・東南商店街・北商店街の3つの商店街があるが、これらが中心となり、毎年9月に「今池まつり」が盛大に行われる。バザール、ライブ、パレード、みこし、大道芸など盛りだくさんである。また、「今池プロレス商店街」として興行も行うなど、他にはない魅力が詰まった街である。

 

■名古屋ブロードウェイ計画

 今池には、ライブハウス、劇団、映画館が多く立地していたことから、ニューヨークのような街をめざして、かつて「今池ブロードウェイ計画」にもとづき街づくりがすすめられていた。今池交差点の角にはアメリカのアーティストに依頼して製作したモニュメントが設置されており、少しだけその雰囲気を味わうことができる。

また、今でも今池に立地する「ボトムライン」はニューヨークのライブハウスと提携している本格的ライブハウスであり、新進アーティストやかつてはメジャーであった懐かしのアーティストのライブも多く行われている。今池でも数少ないブロードウェイらしい空間である。

 

■桜の名所-すいどうみち緑道

 今池駅周辺の繁華街の背後には閑静な住宅地は拡がっている。これらを結ぶ道として「すいどう道緑道」がある。広幅員の歩道と荘厳な桜並木を有する道路であり、歩道下には浄水場から名古屋都心部に送水する水道管が埋設されている。桜の時期をはじめとして、多くの人がこの道を散策し、今池の繁華街とは異なる賑わいを見せている。沿道にはJR社宅を再開発した高級マンション群(セントラルガーデン)が立地し、その中には東京の有名パティシエの店や高級スーパーが出展しており、名古屋らしからぬ場所となっている。すいどう道緑道は今池界隈でも貴重なほっとするエリアである。

 

■これからの今池界隈のまちづくり

 今池界隈は千種エリア、池下エリアに近接した街であり、千種~今池~池下の連続したにぎわいのまちづくりが求められている。その中で、千種エリアは予備校や専門学校が集積する街で、池下エリアは閑静な住宅地の多い街であり、今池界隈はこれらの健全な街に挟まれた「雑然とした」街である。街は健全になり過ぎては面白くない。「雑然さ」「怪しさ」も街の魅力のひとつである。今池では今後、民間再開発や老朽建築物の建替も想定されるが、その中でも街の多様な魅力、特に「怪しさ」と「名古屋のブロードウェイ」は生かし続けて欲しいと思う。

 

 

 

(文責:主任研究員 春日俊夫)