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タウンレポート

Part.52.53

Part.52 子どものいる住みよい地域を次世代に残すために・・・                                              岡崎市下山学区(旧額田町)の取組み

子どものいる住みよい地域を次世代に残すために・・・

岡崎市下山学区(旧額田町)の取組み

 

はじめに

岡崎市では、概ね小学校区を単位として住民主体の地域づくりを進めています。平成81月に合併した旧額田町地域では、人口減少・過疎化に悩む学区が多くなっており、これまでに3つの小学校が統廃合により消滅している。

今回取り上げる下山学区も、人口減少、特に若い家族の流出により、下山小学校の児童数の減少、高齢者世帯の増加が進んでいる。

この様な中で、住民と小学校が協力して子どものための環境づくり、高齢者対策など、住みやすい地域づくりに取り組むために、平成24年に下山学区に「住みよい下山学区をつくろう会」が発足した。愛知県交流居住センターでは、定住促進と地域の活性化を願い、この会の活動の支援をしており、本稿では、下山学区及び「住みよい下山学区をつくろう会」の紹介を行う。なお、以下の文はこの会の会長である杉浦立美氏からの寄稿である。

1.下山学区のあらまし

 

岡崎市東北部の下山学区は世帯数200戸、人口740人ほどの中山間地域である。岡崎市の中心市街地からの距離は15キロ、山林と谷あいの農地に囲まれて小学校・保育園・駐在所・市役所出張所・簡易郵便局などがあり、小さなコミュニティをつくっている。

昭和の合併で東加茂郡(現豊田市)に分村したことはあったが、明治22年の地方自治制度以来、住民の繋がりと協同意識を大切に守って至極平穏な生活が営まれてきた。

 

2.少子高齢化と小学校存続の危機

 ところが、全国的な社会動向である少子・高齢化の波が押し寄せ、これまで微減であった人口が減少し始め、特に小学校の児童数に顕著に表れてくる事態となった(2013年度22名、2018年度予測12名)。このままでは極小規模校が常態化し、子どもたちの教育条件を整えることも困難となる。さらに最悪の場合には廃校・統合も避けられなくなるだろう。そうなればこれまで多くの先人たちが築いてきた地域自治の伝統は消滅し、住民の日常的生活感覚は拡散せざるを得なくなる。

 

3.住みよい下山学区をつくろう会

 このような危機感から20121月、“居住人口を多くしよう”、“子どもの数を増やそう”を目標に「住みよい下山をつくろう会」が発足し、活動を開始した。地域の当面する課題別に4つの部会(環境整備・高齢者対策・学校対策・定住実現)を設け、部会ごとに問題点を洗い出し、対応策を協議した。また、各部会に対応したアンケート調査を全世帯に実施し、住民の意向を把握すると同時に課題の共有を試みた。 

 この調査により定住化の阻害要因の一つに教育環境の問題が浮上し、2013年度には学校問題に絞った保護者の意向調査をおこなった。調査結果の報告会と意見交換の学習会を開催し、中学校の通学問題(寄宿舎・通学手段・通学区域)に特化した活動を進めることとなった。2013年度は学校対策部会を中心に推移してきたが、空家・空地への移住計画(定住実現部会)、耕作放棄地対策(環境整備部会)、高齢者生活支援事業(高齢者対策部会)などの活動は緒に就いたばかりである。

 2014年度には地域の現状を踏まえ、将来を見通した振興計画の策定と具体的な手順を確認することになると思うが、社会教育委員会・総代会・福祉委員会・バス対策委員会など学区内諸機関との連携をとりながら活動してゆくことになろう。

4.住みよい下山学区にむけて

 おりしも自動車産業の研究開発施設の建設工事がはじまり、地域に明るい萌しとなっているが座して待つのみでは地域の振興は望むべくもない。住民の地域への愛着と誇り・郷土愛に根差した積極的な活動が期待される。

 春には樹齢三百年と言われる山桜の観桜会、谷津田の畔に咲き乱れるササユリ、林間を通り抜ける頬に心地よい涼風、秋の恵みと雑木林の紅葉を楽しむウォーキング、四季折々の風情と子どもたちの元気な姿。『住みよい下山』のイメージは“都市近郊の潤いと活力ある生活空間”といったところか。そんなたたずまいを次世代に残したいと思っている。

おわりに

下山学区は、岡崎市や豊田市などの市街地から遠くない場所で、自然に囲まれた暮らしをするには絶好の場所である。愛知県交流居住センターとしても、住民と協力しながら空き家や宅地を発掘し、UターンやIターンを促進したいと考えている。

(文責:主席研究員 春日俊夫) 

Part.53 パリのル・コルビュジェ作品を訪ねて

ル・コルビュジェについて

 ル・コルビュジェ(18871965)は、20世紀を代表する建築家・都市計画家として知られます。20世紀の近代建築に大きな足跡を残し、とりわけ第二次世界大戦後の我が国の近代建築に直接、間接に多大な影響を与えた作家のひとりです。彼の生誕120周年を記念して森美術館で開催された「ル・コルビュジェ展 建築とアート、その創造の軌跡」(2007年)という大規模な回顧展が我が国で開催され、多くの来館者があったこと自体、我が国の建築・都市計画界における彼の存在の大きさを示す証左と言えます。コルビュジェに関する詳細は、数多く邦訳されている彼の著作や各種のコルビュジェ論に譲ります。

 

 

パリのル・コルビュジェ作品

 昨年、パリ市内や郊外のル・コルビュジェの作品を訪ねました。

今回訪ねたのは、彼の住宅建築の代表作と言われる「ラ・ロッシュ-ジャンヌレ邸」と、「サヴォア邸」の2作品です。いずれの作品も彼の作品集などで紹介されていますが、周囲の町並みや風景の中でどのように立地しているか、建物のテクスチュアなどを含めた三次元的な体感、とくに彼が唱えた新しい建築のための5つの要点がどう具現化されているか、等は作品に触れなくては理解できません。もっとも、今回はコルビュジェ作品の体感が主目的であり、詳細は専門書を参照いただきたいと思います。

 彼の「建築の5つの要点」とは、「ピロティ」、「屋上庭園」、「自由な平面」、「水平に連続する窓」、「自由なファサード」の5つです。今回訪ねた2作品は、この5つの要点が集約された象徴的な作品と言われます。コルビュジェが唱えた新しい建築の要点は、今日の建築設計では当たり前のことですが、建築の意匠面だけでなく、鉄筋コンクリートを始めとする近代技術を用いることで実現した作品といえます。

 

 

ラ・ロッシュ-ジャンヌレ邸

 ラ・ロッシュ-ジャンヌレ邸(192325)は、パリ16区、地下鉄ジャスマン駅を降り、重厚なアパルトマンが建ち並ぶ表通りを入った閑静な住宅街に建つ都市型住宅です。この建物は、ピロティ、自由な平面、水平に連続する窓など、コルビュジェの提唱した5つの要点が凝縮されています。2世帯住宅のうち、ジャンヌレ邸は、現在、ル・コルビュジェ財団の事務所として使われ、ラ・ロッシュ邸の部分が公開されています。ロッシュ邸は都市の中に住まうことを意識して建てられた建築です。白色を基調としたシンプルな外観からは想像もつかない内部空間の広がり、エントランスの3階吹き抜けロビーから階段やスロープ、ブリッジ、居室を経て最上階に続く「建築的プロムナード」は訪ねる者の好奇心をそそります。絵画ギャラーリーを兼ねた居間を始めとするパブリックな空間と寝室や食堂などプライベートな空間をブリッジでつなぐ「自由な平面計画」など、鉄筋コンクリート技術があってはじめて実現します。現代的なセンスの照明、壁や建具の色彩など、90年前に建築された建物であることが信じられません。当時、このような建築を提案したコルビュジエはどんな空間イメージを描いていたのだろうか、興味は膨らみます。

      ル・コルビュジェ財団入口                  ラ・ロッシュ―ジャンヌレ邸ファサード

邸内部エントランス吹き抜け          居間           屋上から望むパリ市街

 

サヴォア邸

 サヴォア邸(192831)はパリ都心からPERA線で西へ30キロほど郊外、セーヌ川沿いのポワシーの町外れにあります。ポワシー駅前で発車間際の50系統のバスに飛び乗ると、私が何も言う前に運転手は「ヴィラ・サヴォア?」と行先の確認、雑木林に住宅が点在する郊外の住宅地を訪ねる東洋人はコルビュジエ・フリークくらいのようです。

 セーヌ河畔の雑木林を切り開いた広い敷地に真っ白なサヴォア邸は建ちます。新興ブルジョアたる施主の要望するイメージを建築物として実現するために、ここにも新しい建築の5つの要点が駆使されています。細いピロティの上に住宅の主要部分を載せた独特のデザインが象徴的です。ピロティを用いた新しい平面の実現、プライベートな空間を2階に上げた公私の分離、大きなガラスの開口部を持つ居間と前面の中庭テラス、中庭テラスからはスロープが屋上庭園につながります。サヴォア邸は、機能主義を新しい技術を用いて実現、近代建築から現代建築へのスタートを宣言する記念碑的建物と言えます。

        サヴォア邸外観                   居間(2階)

エントランスから2階への回り階段    居間に面する屋上の中庭           主寝室の浴室

コルビュジェ作品に触れて

 今回訪ねた2作品、どちらのコルビュジエ作品においても、彼の精神を次代に伝えようと熱意にあふれる財団スタッフたちの対応に好感を持ちました。若い学生のほか、私と同年代とおぼしき世界各地からの来館者が途絶えません。パリ市内あるいは近郊にあると言っても、サヴォア邸についてはRER終点駅からバスで15分くらい、ラ・ロッシュ-ジャンヌレ邸もメトロのジャスマン駅から複雑な道をたどらなくてはなりません。しかし、2作品を訪ねて、どちらも近代建築に興味を持つ者にとって原点であり、聖地のひとつなのだとの思いを新たにしたところです。

(文責:金子 宏)