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タウンレポート

Part.57.58.59

Part.57 岐阜県御嵩町~環境モデル都市の取り組み~  (2016 JUN. ちもんけん VOL.95)

■はじめに

 中山道など昔からの歴史と自然、そして現在新たな文化を生み出している岐阜県御嵩町についてご紹介します。

 

御嵩町の概要

 岐阜県御嵩町は、面積が約57k㎡で人口が18,699人(平成28年6月1日現在)の町です。古くから中山道の宿場町として賑わい、名古屋から車や電車などで1時間程度の立地にも関わらず、今でも昔ながらの建物と雰囲気が残っています。以前は亜炭鉱が盛んだったものの、少子高齢化の影響もあり町の人口は、減少傾向となっています。

 

環境モデル都市としての取り組み

 御嵩駅を降りるとすぐ一日無料で借りることができる「レンタサイクル」があります。中山道を歩くには時間と体力が必要ですが、自転車を気軽に使用できることで車に頼らない観光事業を展開しています。 

 御嵩町では、これまでノーマイカーデーの促進や、木材チップの活用、町民と協働したみたけの森を守る活動などが評価され、町として日本で唯一「環境モデル都市」に選ばれています。このような活動のきっかけは、産業廃棄物処理問題が、御嵩町の自然と歴史の大切さを町民に強く認識させた出来事でした。現在は、町が策定している「環境モデル基本計画」の見直し時期ということもあり、策定部会の中で「みたけエーコと考え隊」を町民と有志町職員とで協働して立ち上がりました。これまでの町が実施してきた施策の評価と、見直しや新たな取り組みを町と住民が一体となって行っています。この策定部会には、町民だけでなく名城大学の学生もゼミ活動を通じて参加しており、町内外の意見を取り入れながら活動しています。

 

新たな伝統の創出~みたけ華ずし~

 中山道など歴史が多く残る御嵩町ですが、町の新たな文化として「みたけ華ずしの会」が2007年3月に設立されました。「御嵩に新たな伝統を作ろう!」と堀田照子会長ら町の主婦を中心として、町内の古民家を改装して活動が始まりました。

 華ずしは御獄宿にある願興寺のシンボルのボタンを表現するものなど、食で御嵩の美しさを表しています。短時間で身近な食材を使いってとても美しいお寿司を作れるため、週末は国内外の観光客が体験教室に訪れています。華やかな見た目が評判を呼び、昨年2月にはフランスで岐阜県の観光プロモーションとしての活動も行っています。

 

名鉄広見線の存続~御嵩あかでんランドの取り組み~

 近年では人口減少と高齢化により公共交通の利用が減り、御嵩から都心部へと繋ぐ名鉄広見線の存続が危機的状況にあります。そこで町若手職員が中心となり、町内外の人に電車に乗ってもらえるイベントを9月24日・25日に実施します。

 イベントの内容については、町内だけでなく町外から実行委員を募り一緒に、週末にミーティングを実施してイベントを創り上げていきます。町民にとっては当たり前の日常に、町の外の人が見た視点の面白さを発見することを目的にして、「廃線のピンチを新たな魅力を発信するチャンス」へと変えていくための取り組みが始まります。何もない田舎ではなく、御嵩の魅力を住む人も、訪れる人も実感するための取り組みが少しずつ広がっていっています。

 

おわりに

 「御嵩はのどかな田舎で、何もないけどいい所だよ。」私がはじめて町を訪れる前、御嵩町出身の友人がそう教えてくれました。しかし、御嵩町を訪問する度、いつも私は知らなかった事を学んでいます。中山道の歴史。御嵩独自の文化を守り根付かせる住民活動など、とても人々が活発な町だということがわかりました。のどかな環境を守り、次世代に繋げていくためには御嵩の町を愛する人々の活動が必要不可欠なのだと感じました。

 これは御嵩町だけでなく多くの町で言えることだと思いますが、その町に昔から当たり前にあり、語り継がれているモノ、コト、文化はその土地の人々が強く想いを持って継承されてきたことなのだと御嵩を訪れる度に感じます。

 

(文責: 橋本健太)

Part.58 若者の市民参加から奇跡の復活を遂げた街 テネシー州 チャタヌーガ  (2016 OCT. ちもんけん VOL.96)

チャタヌーガ市の概要

 チャタヌーガ(Chattanooga)市はテネシー州の南東部に位置し、ジョージア州アトランタから車で北に約2時間の距離(約190㎞)にある。2015年の人口は17.6万人である。

 チャタヌーガ市は1960年代末には工場の煤煙、排水等により最悪の環境となり、「Dirtiest City in America」と呼ばれるに至った。それは80年代まで続き、80年代初頭には、若者達は市外に転出し、ダウンタウンは寂れ、人口も雇用も他のすべてのことが下降線を辿る事態であった。

 そのため、80年の人口が16.9万人であったが、90年15.2万人と、たった10年で約10%の減少をみた。

 このような状況の中、1984年に若者中心の官民協働のワークショップを経てVision 2000を作り上げた。そこで合意された6つの分野34のゴールを基軸に1985年以後、チャタヌーガの再生戦略が進められた。

 詳しくは後述するが、この再生戦略によって市は息を吹き返し、人口を取り戻した。また、様々な都市整備や景観関連の賞を次々に受賞し、全米からの注目度が一気に高まった。

 以下では、その官民協働のまちづくりプロセスについて紹介する。

 

若者を巻き込んだVision 2000に向けてのワークショップ

 チャタヌーガ市は1984年に延べ1,700人の20~30代の若者達の参加を得て、16年後を見据えたVision 2000を策定した。

 この策定には9か月を要したが、衰退都市の若者達に「あなたはチャタヌーガが2000年にはどんなコミュニティになっていて欲しいか? 」と呼びかけ、多くの関心を呼んだ。

 大きく6つの分野「人」「場所」「遊び」「仕事」「行政」「将来像」につき、各分野において、2000年までに達成して欲しいことを各自5つずつ紙に書き書き込んだ。その時の呼びかけは「Think Big!」であった。

 その書き込み内容を分野別ワークショップ、全体会等を経て34のゴールを設定した。さらにそれに関連し、コミュニティレベルのゴールもより広い市民参加を得て決定した。

 このVision 2000策定にあたっては、ニューヨークのコンサルタントに依頼しまとめ上げたが、市民参加のプロセスは、まさに近年日本各地で検討が始まった「フューチャー・デザイン」の手法に他ならない。

 

Vision 2000 で提案された主なプロジェクト

 Vision 2000 で提案された34のプロジェクトのうち、以下に主要なもののみ紹介する。

①CNEによる住宅環境の整備

 CNE (Chattanooga  Neighbor-hood Enterprise:チャタヌーガ近隣公社)はVision後1986年に設立され、ワークショップで要望された低所得者向住宅や、空き家対策等の近隣居住区の改善を推進する役割を担った。

②テネシー・リバーパークの整備

 1989年にはテネシー・リバーパークがオープンした。それまで人々はテネシー川に背を向けてきたが、この公園南北のリバーウォークにより、人々とテネシー川を結びつけた。

③新たな政府

 1990年には、それまで白人中心の議会を、市内各地区からの代表制にし、女性、黒人、ヒスパニック系の議員も選出され、市民参加が積極的に進められるようになった。

④テネシー水族館

 1992年には当時世界一と言われたテネシー水族館がオープンした。最初の年には150万人もの観客が来訪し、アトランタ等からも子供連れ客が多く来たとのことであった。

⑤ウォーターフロント開発その他

 その他、官民協働によるウォーターフロント開発、ダウンタウンの活性化、テネシー川にかかる通行止めになっていた橋を遊歩道化して新規オープン等々、官民総額で10億ドル(約1,000億円)以上の投資が行われ、市民から提案されたプロジェクトを次々に実現していった結果、素晴らしい街に生まれ変わった。

 若い人々の自分たちの未来を描く作業から、現在のチャタヌーガが再生された。当時携わった人達も既に50~60歳代、今新たに若者達を中心にした新しいVisionづくり(Re-Vision)が始まっている。

 

(文責:理事長 青山 公三)

Part.59 よってって横丁 おたがいさまの家(名古屋市緑区) (2017 JAN.ちもんけん VOL.97)

伊勢湾台風がきっかけとなり生まれた南医療生協

 今から58年前の1959年(昭和34年)に、伊勢湾台風が到来し全国に未曾有の被害をもたらしました。災害対策基本法制定の契機となった大災害として有名です。

 とりわけ名古屋市の南部地域は甚大な被害を受けました。その復興活動の中で、自分たちの診療所をつくろうと立ち上がった市民が出資金を募り、組織化されたのが南医療生活協同組合(以下、南医療生協)です。

 その後、南医療生協の活動範囲は、名古屋市、知多半島、三河地域へと拡大し、現在の組合員は82,000人を数える大きな組織となっています。

 医療・介護・福祉・健康づくりといった専門分野を生かしつつ、生活協同組合らしく『お互いさま』という相互扶助にこだわった、居場所づくり、ささえあい・たすけあいといったまちづくり活動を展開しています。

 

南生協病院の移転

 南医療生協では5ヵ年ごとに長期計画づくりに取り組んできました。

2003年からは、『百人会議(介護事業推進会議)』に取り組み、まちにとけこみ・まちとふれあう介護事業所づくりを展開しました。その成果は、’04年の「グループホームなも」、’05年の「生協ゆうゆう村」、’08年の「老健あんき」、「生協のんびり村」の整備へとつながっていきます。

 また、『百人会議』の経験は、総合病院の移転に関する市民合同会議『千人会議(新南生協病院建設推進会議)』に引き継がれ、’06年から4年間45回に及ぶ話し合いが重ねられ、2010年に、市民参加による「健康なまちづくり支援病院」南生協病院が実現しました。

 この病院は、『千人会議』での協議を生かして、きめ細かな配慮が盛り込まれた病院となっています。例えば、病院の1階のホールは地域住民に開放されており、隣接するJR南大高駅までの通勤・通学の動線ともなっています。こうした開放的な建築とするとともに、フィットネスセンターやオーガニックレストラン、保育施設などを併設して、駅前地区のにぎわいづくりに貢献しています。まさに、「病院が街になる」というコンセプトを実現したものです。

 

よってって横丁の整備

 「よってって横丁」は南生協病院に隣接する駅側の街区に整備されました。病院と一体的な運用が容易な立地にあり、医療・介護が連携した施設整備が行われています。

 南生協病院の建設を検討した『千人会議』の意思を継承して、2012年4月からは『10万人会議(南医療生協近未来構想会議)』に取り組みました。

 『10万人会議』は、南医療生協に求められているものは何かを話しあう会議で、毎月1回の会議が積み重ねられ、超高齢社会、子育て、障害者問題など70項目を超える意見・要望が出されました。

 そんな会議が続けられている折、2013年5月に、名古屋市が保有するJR南大高駅前の公有地の土地活用提案募集事業が行われることとなりました。南医療生協として、『10万人会議』の声を設計図に落として応募することとなり、その企画が採択され、「南生協よってって横丁」として整備されることとなりました。

 『10万人会議』に寄せられた声をかたちにした施設で、医療・介護・福祉、高齢者の住まいに加え、飲食店、キッズコーナー、授乳室、自習室、テラスなど子どもから高齢者までが交流できる機能を備えた複合施設となっています。

[施設構成]

1階:在宅診療所、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、指定居宅介護支援事業所、デイサービス、小規模多機能ホーム

2階:広場、歯科クリニック、メンタルクリニック・デイケア

3階:認知症グループホーム

4~8階:サービス付き高齢者向け住宅(おたがいさまの家)

 「よってって横丁」は、地域住民のささえあい・たすけあい活動を活発化していくための拠点であり、地域包括ケアシステムを実現していく上での拠点ともなっています。

 

 

(文責:主任研究員 押谷 茂敏)